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【貨幣史から経済を学ぶ】古代から現代にかけて貨幣制度はどのように発達したのか?


日本の貨幣史(かへいし)では日本貨幣の歴史、および歴史上の各時代における貨幣の機能や貨幣制度の歴史を指す。日本に流入した海外の貨幣や、海外で流通した日本の貨幣についても取り上げる。


各時代の概要


古代

日本で金属貨幣が作られる以前の弥生時代の遺跡からは、中国から運ばれた硬貨が発見されている。日本では、古代からが貨幣として用いられた。米は初期の金融や手形の発生にも関係した。

↑皇朝十二銭と関連銭貨(開基勝宝は模造、大平元宝は現物が未確認)PHGCOM - 投稿者自身による著作物, photographed at Japan Currency Museum, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9603024による)



日本で作られた金属貨幣で、現存する最古の銀貨7世紀無文銀銭、最古の銅貨は7世紀末の富本銭、最古の金貨760年天平宝字4年)の開基勝宝である。


朝廷が発行した皇朝十二銭は新貨のたびに銅貨の含有率が下がり、朝廷や通貨制度への信用は低下して銭離れを招いた。このために和同開珎を含めて初期に作られた硬貨は、数々の奨励策にもかかわらず流通が限られ、いったん硬貨の発行は停止した。


中世

平安時代末期から中世にかけて、中国との貿易で宋銭をはじめとする硬貨が日本に流入して広まった。11世紀には博多に宋銭が運ばれ、12世紀には畿内にも流通し、幕府の禁止も効果がなく13世紀には黙認されるようになった。


鎌倉時代から南北朝時代室町時代にかけて幕府や朝廷による貨幣の発行はなく、輸入銭の普及と商品流通の増加によって貨幣が不足したため、民間では輸入銭をもとに硬貨の発行を始めた。


しかし、金属貨幣の流通はたびたび不足して、そのたびに物品貨幣が重要となった。東国は絹と布、西国は米が用いられる傾向があった。16世紀に日本に伝わった灰吹法によって、金・銀・銅の産出量が増加して、16世紀から金・銀・銭(銅)の3種類の貨幣の発行が定着し、貴金属の輸出も行われた。


近世

↑千両箱

大坂の豪商鴻池家で使われていたもの(大阪歴史博物館)Wikiwikiyarou - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10909903による



織田信長の法令や豊臣秀吉の太閤検地により、通貨を尺度とする貫高制にかわって、米の収穫量を尺度とする石高制の普及が進んだ。民間による金・銀・銭(銅)の発行は織豊政権が引き継ぎ、のちに江戸幕府三貨制度を定めて金属貨幣が全国で統合された。


この時代に紙幣も発行されており、存在が確認されている最古の紙幣は、1610年に発行された羽書である。羽書は私札とも呼ばれ、藩領が発行する藩札や、旗本領が発行する旗本札があった。


対外的には、銀が最大の貿易品として中国向けに輸出され、オランダや朝鮮との貿易で金・銀・銅を輸出したが、商品流通の活発化も加わって国内の金属産出量が不足し、幕府は改鋳を行って含有率を下げるなどの対策をした。


近代

明治政府によってという単位が正式に採用され、政府は政府紙幣を発行して内戦などの費用にあてた。欧米を参考に銀行制度が定められて、中央銀行である日本銀行が日本銀行券を発行して、それまで各銀行が発行していた紙幣を統一した。


台湾や朝鮮を植民地とした際にも銀行が設立され、日清戦争で得た軍事賠償金をもとに金本位制を採用し、外債の発行で日露戦争の戦費を調達した。世界恐慌をきっかけとして金本位制を離脱したのちは、円を中心とする経済ブロックを作った。


日中戦争太平洋戦争の時期に植民地や占領地で発行された紙幣や軍用手票(軍票)は、日本統治下の地域でインフレーションを起こして、通貨の信用低下をもたらした。


現代

第二次世界大戦後の日本の通貨は、連合国によるUSドルを基軸とするブレトン・ウッズ協定のもとで為替レートが定められた。ブレトン・ウッズ体制は、ニクソン・ショックをへて変動相場制への移行によって終了した。アメリカの双子の赤字をきっかけとして、為替レート安定のために先進5か国(G5)によるプラザ合意がなされると、急速に円高が進んだ。


円高によってバブル経済が起き、1990年代前半のバブル崩壊後にデフレーションと低成長が続いている。技術の発達により、国家の通貨とは異なる貨幣としてネットワーク上で発行される仮想通貨が流通するようになった。


現代の経済政策においては、(1)為替レートの安定化、(2)国際資本移動の自由化、(3)独立した金融政策という3つの選択肢の全てを同時に達成することは不可能とされており、国際金融のトリレンマと呼ばれる。


達成可能なのは3つのうち2つを選択するパターンであり、(1)為替レートの安定化と国際資本移動の自由化、(2)独立した金融政策と国際資本移動の自由化、(3)為替レートの安定化と独立した金融政策のいずれかとなる。現在の日本は(2)のパターンであり、先進国と呼ばれる各国もこのパターンを選択している。


貨幣の形態

↑慶長通寳。円形方孔の形状をしている。As6022014 - 投稿者自身による著作物, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8971624による



貨幣の素材そのものに価値のある貨幣は物品貨幣商品貨幣と呼ばれ、日本では米・絹・布などが物品貨幣となった。古代から近世までは、「銭」と呼ばれる中心に穴の空いた硬貨が作られた。銭の形は円形方孔といって穴が四角く、円形が天、方形が地を表すという古代中国の宇宙観である天円地方の思想にもとづいている。


この穴は、鋳造後にバリを削るときの道具を通すために用いたほか、紐を通して大量の枚数をまとめるのにも活用され、小額面の貨幣を運ぶには便利だった。


銭の大きさは基本的に直径2.5センチメートル前後、質量は3グラムから4グラムほどとなる。銭は形状にもとづく名称であり、金貨や銀貨などは素材にもとづく名称である。歴史的には金や銀で作られた銭も存在した。


紙幣が存在しない時代には、高額の現金を持つためには重量が負担となった。中世の銅銭の重量が1枚約5グラムとすると、中世の1貫文(現在の約10万円相当)は1000文であり、1文の銅銭で1000枚にあたる。


現在の10万円を払うには5キログラムを運ぶ必要があり、高額かつ遠距離間の取引にとって障害となった。そのため割符や替銭などの制度が発達した。羽書や藩札など初期の紙幣は縦長であり、文字が縦書きであったことに由来する。


貨幣の単位

↑寛永通寳一貫文 As6022014 - As6022014が撮影, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=126385269による



古代から中世にかけて、銭貨の単位として(もん)やが用いられた。江戸時代では、金貨の単位は(ぶ)、(しゅ)があり、銀貨の単位は(もんめ)、分(ふん)、銅貨の単位には(もん)が定められた。明治時代からは円が採用されており、円の補助単位として、(せん)、(りん)がある。


銭の孔にひもを通してまとめたものを緡銭(さしぜに)と呼び、約100枚の緡銭が連、連が10個で1貫文となる。貫とほぼ同じものとして、約1000枚の緡銭を表す結がある。硬貨の流通が不足した時代には、省陌短陌と呼ばれる方法で数えた。


これは100枚未満の銭を100文の価値があるとみなす方法である。同様の習慣は中国やベトナムにもあり、日本では8世紀から中世までは銭97枚を100文として数え、16世紀には96枚になって九六銭と呼ばれた。


省陌を用いずに100枚で100文と数える方法を調陌(ちょうはく)や丁陌と呼んだ。長屋王の邸宅跡から97枚の和同開珎が発掘されており、最古の短陌の可能性がある。


貨幣の発行者・貨幣発行益

貨幣の発行によって物資の調達や財政を改善する貨幣発行益は、古代より注目されてきた。律令政府は、国家事業の支払いのために金属貨幣を発行した。和同開珎が発行された時代の銅貨は、原料である銅の4倍ほどの貨幣発行益があった。


中世では、輸入銭をもとに民間が模造した貨幣が流通した。近世では、江戸幕府が改鋳による貨幣発行益を出目と呼び、元禄期や天保期の改鋳によって幕府財政の改善をはかった。明治政府は戦費や殖産興業の費用を調達するために、貨幣発行益を目的として日本初の政府紙幣を発行した。


現在は、日本政府ではなく中央銀行にあたる日本銀行が貨幣を発行している。日本銀行の貨幣発行益は、銀行券発行の対価として買い入れた手形や国債から得られる利息となる。このため、銀行券の製造コストと額面の差額は貨幣発行益とはならない。


仮想通貨は日本でも流通しており、ビットコインの発行者はマイナー(採掘者)と呼ばれる。仮想通貨の発行には計算量の大きな問題の解読が必要とされ、ビットコインの場合は作成したブロックが他のマイナーに受け入れられると作成報酬を獲得する。



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』日本の貨幣史 クリエイティブコモンズライセンスの適用に基づく


記事確認:公益社団法人日本証券アナリスト協会認定 資産形成コンサルタント / 日本証券業協会 一種外務員資格者 / 日本FP協会認定AFP(Affiliated Financial Planner)技能士 桜庭史門

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